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2003.12.15

ブラックバスがいじめられるホントの理由

「ブラックバスがいじめられるホントの理由」 青柳純著 つり人社 95pp.


 はっきり言って、読んでがっかりした本。

 副題が「環境学的視点から外来魚問題解決の糸口を探る」とあるが、内容を読んでみると、著者は自然にも生き物にもさほど関心が無く、「生物多様性」を尊重し、維持しようとする考えはなさそうである。基本的に、著者の重視するのは「金」であり、「利益」である。とってつけたように「生物多様性」についても考察しているが、著者にとって関心が無いこともあってか、吉野川の堰の工事問題についての住民意思についての考察文に根拠を置いて、あくまでも純粋な自然保護派は少数である、とすることで少数派の意思を積極的に無視して話を進めるようにしている。つまり、自分は大所高所から見下ろして、多数の人の経済的利益を考えてこの論文を書いたんだぞ、多数のためには少数のわがままなどどうでもいいのだ、という倣岸さが目に付く。そうした倣岸さの一方で、あとがきの最後ひねこびた文章があったりするので(世の中、金がすべてという考えの著者にとっては、あの文章は自然な発露だとは思うけど)、少なくとも、ぼくはこの著者を軽蔑せざるをえない。

 さて、一応、問題と思える内容で、目に付いたいくつかを記しておきたい。


■「第5章 既存の外来魚論の整理」

 この章では、これまでブラックバスを中心とした問題についてどのような主張がなされてきたかを書かれているのだが、秋月岩魚氏と中井克樹氏の主張に対しては、問題提起だけで何ら具体的な対策が提示されていないと切り捨てている。その一方で、日釣振を釣り人全体の代表としてそちらの主張には何も問題点を記していない。

 そもそも、外来魚、特にこの場合は犯罪的行為によって無秩序に放流され、在来生物の絶滅のリスクを増大させているブラックバス問題については、最初から多くの人に周知の内容だったわけではない。多様な生物の存在に価値があるということ自体に反対する人は少なく(総理府の世論調査で移入種対策を進めるべきと答えた人が過半数なのは、その根拠といえるだろう)、そうした人々に問題の存在をアピールすることは非常に重要なことであり、その結果として今の「ブラックバス問題」があるのだから、解決策が示されていないだけで無意味な主張のように記すのは、明らかにおかしいだろう。

 しかも、この本の出版されているつり人社は日釣振と極めて深い関係にあり、そちらをヨイショして一切批判を加えないのも、非常にコビていてイヤラシイ。そもそも、釣り愛好者にもさまざまな人がおり、多様な意思が存在しているはずなのに、なぜ、釣り人=日釣振と断ずることが出来るのか。こうした、多様な意思やマイノリティを無視した乱暴な一般化は、本書全体に蔓延している。


■「第2章 外来魚移入の経緯」

 ここで、少し前の章の話に戻ってみる。 順番に読んでいると、おや?と首を傾げながらも読み進んでしまうのだが、第5章や、それ以後の親バサーな論理を見た後で考えると、この「第2章」はその布石となっていたことに気づくだろう。

 つまり、この章では、秋月岩魚氏が著書「ブラックバスがメダカを食う」で主張した、ブラックバス類の密放流による拡散を、根拠の無いものとして否定し、琵琶湖産魚種が他地域の河川・湖沼に広がっていることを一生懸命主張している。

 秋月氏が密放流(特に釣り産業と結びついた確信犯的なもの)の存在を声高に主張す るのは、それが他の魚には見られない行為であり、具体的証拠をつかめないまでも、断固としてやめさせなければならない犯罪的行為だからである。琵琶湖にいないコクチバスが急速に多くの地域で発見されたり、琵琶湖内のオオクチバスにフロリダバスとの雑種が見出されている事実は、そうした行為が継続していることや、影響の大きさを示している。

 もちろん、琵琶湖産アユに付随してさまざまな魚種が拡散しているのは事実であり、そうした水産業の罪も批判しなければならないのだが、著者の青柳氏は、なんのために犯罪的行為の問題を矮小化しているのだろうか? こうやってあらかじめ釣り産業と結びついた犯罪的行為を、根拠が薄くて影響の少ないもののように印象付けておけば、その後の漁業者批判と釣り人(この場合はバサーだけのことを意味するはずなのに、なぜか釣り人全体として扱われている)による経済効果を正当化しやすくなるわけだが。


■「第6章 何が本当に問題か・対立の構造」

 さて、本書のメインらしき部分である。

 しかし、おかしな内容ばかりで、いちいち指摘するのもなんだかなぁ、という感じである。とりあえず、すべての問題を漁業者と釣り人の対立、というふうに単純化している。「生物多様性」は常にその両者と対立するように位置づけられている。

 なんだか奇妙である。まず、釣り人がすべてバス釣りを享受しているわけがない。漁業(水産業)は、これまでから外来魚の移植や放流をおこなっていたので、生物多様性を破壊しているから、釣り人を批判する権利が無いといっているが、近年は移植放流事業はおこなわれなくなりつつあり、在来の生態系を生かした漁業をおこなおうとするのはいけないのか?  そもそも、琵琶湖に関しては、琵琶湖総合開発でヨシ帯を破壊し、漁業的にもさまざまな魚種の移植放流を繰り返してきたのは事実である。しかし、そうした行為を反省し、ヨシ帯の再生や、琵琶湖固有の魚種の漁業を続けたいとすることが、そんなにおかしいだろうか? バス擁護論者は、すぐに「さんざん琵琶湖の環境を破壊しておいて今更ブラックバスを悪者にするな」と主張するが、古い価値観のもとに行った行為の埋め合わせをしようとしているのを、なぜ認められないのか? 琵琶湖を再生させたいと願い、さまざまな対策を取ろうとする一環の中に外来種対策もあるのではないのか?

 固有の生態系の維持、伝統的漁法の継承、水質浄化などなどといった政策の中で、ブラックバス問題だけが、際立って大きく取り上げられるのは確かにおかしい。しかし、それは、環境を犠牲にしてでも自分たちの道楽を優先したいというバサーと甘い汁を吸ってきた釣り業界が、頑強に政策に反対していることが原因である。

 また、琵琶湖固有の生物を守るための政策を取るにしても、現状では経済に直接絡まない生物種の存在を論拠に何かを行うことは難しい。だからこそ、固有魚種を対象にした伝統漁業を、琵琶湖固有の生態系を維持し、利用するシンボルとして用いているという面もあるだろう。その場合、生物多様性と漁業が対立しているわけではない。また、固有種を対象とした釣り(ホンモロコ釣りなど)を楽しみたいとする釣り人とも対立しない。現在対立しているのは、琵琶湖の環境や生態系を破壊したまま、自分たちだけ甘い汁を吸いたいバス釣り関連集団 vs.それ以外の人々である。

 琵琶湖以外の事例については、河口湖と中禅寺湖については、まあ、そんなにおかしなことは書かれていない。生物が少ないのが本来の姿なのに、そのことの価値が認められていないのを指摘しているのも、この本の中では数少ない良い部分である。霞ヶ浦についても、それほど問題の捉え方は悪くない。しかし、八郎湖の問題については、大半が埋め立てられて淡水化した湖なのだからバスの駆除をするのはおかしいという主張はいただけない。秋田には、秋田・山形あたりにしかいない固有の魚種(トミヨ属雄物型・ジュズカケハゼの一種)や、他地域で絶滅して、かろうじて東北地方で残存しているような魚種(シナイモツゴなど)がいる。そうした魚種は、止水域や流れのゆるい河川に生息し、そうした環境は多かれ少なかれ人為の影響を受けている。人為の影響がある生態系に守る価値が無いというなら、それらの魚種の絶滅もかまわないということか。八郎湖は大半が埋め立てられたとはいえ、その近辺に在来の魚種が生息しているであろうに、なぜそこでのバス・ギルの駆除を否定する必要があるのか?


 まだ、他にも文句を付けたい点は多々あるが、大きく目に付くのは以上のような部分だろうか。ちなみに、本書の最後のほうでは、今後の提案らしきものがある。そこでは、「完全駆除」も「ゾーニング」も非現実的であるとして、まず取り組むべきなのは限定的な水域で在来魚種の保護としている。その例として、京都の深泥池の外来種除去調査をあげているのだが‥‥

(゜д゜)ハァ?

 中井氏や秋月氏の論に対して具体的処方がないと見下した書き方をした著者の提案がそれですか?  何事も小規模な実践から始めるのは当然のことであり、その最終的な目標をどこにおくかを議論して提示しているのが完全駆除やゾーニング案だと思うのだが? 結局、著者は、将来的な方向性を示さず、目先のことだけしか見えていなかったということですか‥‥

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